漫画家パロ





じめじめとした雨の季節が終わり、空気の澄む初夏の季節だ。
乾いた風も気持ちよく、更に今日は晴天である。家に居るなどもったいないほどの陽気で、ナランチャは伸びをすると近くに居るフーゴに話し掛けた。
「なぁなぁ、フーゴ。スゲーいい天気だぜッ」
フーゴは机に向かいながら、一瞬間があった後に、そう、と素っ気のない返事をした。フーゴは今、原稿の真っ最中で、窓の外の景色になんて一瞥もくれている余裕はなさそうだ。
それは分かってはいたが、確かフーゴは昨日も家から一歩も外に出ていないはずだ。いくら漫画を描く仕事が忙しいとは言え、こんな生活を送っていたら体を壊してしまう。
「散歩でもしに行こうよォ~~風気持ちイイぜ~!」
「うーん・・・そうしたいのは山々ですが、せめて後2ページだけでも終わらないと」
「それっていつ終わるんだ?」
「3時間後くらいですかねェ」
「エエッ!それじゃあ日が暮れちまうよ。ちょっとだけでもいいからさァ」
そう言ってナランチャは背後からフーゴに抱き付いた。
「おい、ナランチャ・・・あッ」
その反動でフーゴが持っていたペンが予想しない動きで弾んでしまい、原稿用紙に余分な線が引かれてしまった。
「わ、あ、その・・・悪ィ」
運悪くキャラクターの上にインクが乗ってしまい、すぐに抱きつく腕を緩めたが遅かった。フーゴは急にダン!と強い音を立てて机を拳で叩きつける。
「テメーいい加減にしろよッ!さっきからうるさいって言ってんだろッ!俺の仕事の邪魔するな!」
「な、わ、悪かったって言ってンじゃあねーか!そんなに怒るなよ!」
「1ページ描くのにどんだけ時間掛かると思ってんだよ!修正してる時間なんてないんだぞ!」
「だからわりーって!おれも出来ることあんならなんか手伝うしよォ」
「お前に手伝えるワケねェだろッ!とにかく邪魔をするな!ここから出て行けッ!」
「っ・・・!分かったよ・・・!フーゴなんかもう知らねェ・・・!」
ナランチャは眉を寄せて、震えた声でなんとかそれだけ言い返すと、そのままフーゴの部屋から出て、玄関を抜けマンションの1階まで階段を下りると、ずんずんと行くあてもないまま道を進んで行く。
(なんだよ!ふざけんなよ!散歩くらい付き合ってくれたっていいだろ!)
怒りがおさまらず、ナランチャは目つきを鋭くさせて肩を上げる。
(もーマジで知らねェ!こうなったら浮気してやる!あんな短気なヤツこっちから願い下げだぜッ!)
鼻息を荒くしてポケットから携帯電話を取り出すと、ラインの一覧を見て誰に連絡しようか上から見流していく。
そしてスクロールが一番下まで来た所で、はぁ、と溜息をついた。

『出て行け』

今まで喧嘩をする事はあっても、その言葉を言われたのは初めてだった。
向こうが怒っている分には、わりーわりーで受け流す事の多いナランチャだが、その言葉だけは思ったよりもショックが大きく、動揺や悲しみで思考がまとまらず、どうしていいのか分からなくて携帯から目を離す。
再び緩やかに歩き出すと、爽やかな風が吹き、綺麗な緑の葉が光に反射して煌いた。

(あーあ)

本当にいい天気だったのだ。

(フーゴと歩きたかったな)



* * *


腕を滑らせ、最後の一本の線を引いた。ようやく長い戦いに幕が閉じる。フーゴは描き終わっているページの原稿を手に持つと、抜けがないかすぐにチェックを始めた。
確認が終わり、最後のページの原稿の墨が乾くと、それも一緒にして大きめの茶封筒に入れる。
時計に目線を配らせると、日付はとっくに変わって午前4時を指していた。一度12時頃に担当の人が家を訪ねて来て、近くのファミレスで待っていると言われたのだが、あれからもう4時間も経ってしまった。
フーゴは急いで茶封筒と財布だけ持つと、足早に部屋を出る。徒歩で3分も行けば、24時間営業のファミレスだ。窓際に見知った顔の担当が座っていたので、フーゴは店の扉を開いて、直接その席に向かった。
「すいません、お待たせしました」
席に座ると茶封筒を手渡す。原稿待ちには慣れている様子だし、相手も仕事だろうが、それでも女性をこんな時間まで外に居させてしまった事に申し訳なさを感じて、フーゴは頭を下げた。
「いえいえ、先生こそお疲れ様でした。一応確認させてもらいますね」
開封してページ数や流れなどをチェックすると、担当は問題ありません、と言った。それを聞いてようやく安心すると、今まで張っていた緊張の糸がほどける。
「先生にしては珍しくギリギリでしたね。間に合ってよかったです。それじゃあ私はこれで」
そう言って担当の女性は帰って行った。きっとそのまま会社に戻るのだろう。
フーゴは大きく深呼吸をすると、目頭を指先でおさえる。急に凄く眠たくなってきた。
ふらふらと立ち上がってまた夜道を戻り、マンションまで辿り着く。靴を脱ぐのも億劫なぐらい疲れていて、適当に脱ぎ散らかすと、どさっと布団の中に入った。
まったくなぜこんなに大変な思いをしながら、自分は漫画を描いているのだろう。別に漫画家になる事が夢だったと言う訳でもない。
(でも絵が好きだったんだ……だから美大に入ったのに……)
フーゴの頭脳なら理系の一流大学に入ることもたやすかったが、親の反対を押し切って有名な美術大学へと進学した。
それなのに短気な性格が災いして、学内で揉め事を起こし退学まで追い込まれてしまった。さすがに親にも友人にも愛想を尽かされ、一人で絵で食べて行く道として漫画家を選んだのだ。
(でも……アイツは全然変わらなくて……)
睡魔に襲われ途切れ途切れの意識の中で、ひまわりが咲いたような笑顔を思い浮かべる。
なにか大事なことを忘れているような気もしたが、とにかく今は眠くて仕方がなかった。





そして次にフーゴが目を覚ましたのは、お昼ごろの事だ。のろのろと遅い動作で起き上がり、近くにあった眼鏡をかける。机の上を見るとそこに原稿はなく、自分がきちんと締め切りを守れた事を再確認して安堵した。風呂場に行き、軽くシャワーを浴びると、髪を拭きつつ遅めの朝食の用意をする。
木漏れ日が当たる窓際のテーブルで、もそもそとパンをかじった。いい天気だなァと思いながらコーヒーカップを持ち上げ、窓の外を見る。
(散歩がてらナランチャのバイト先に・・・)
と思った瞬間、フーゴはさーっと血の気が引いた。口に含んでいたコーヒーをごくりと飲み下す。昨日の記憶が瞬時に蘇って来た。
「わ・・・・・・忘れてた・・・・・・」
あまりにも締め切りに追われて、睡眠不足が続いていたせいで、恋人にキレただけじゃなく、喧嘩したこと自体がすっかり抜け落ちてしまっていた。
(確か散歩に行こうって・・・それでアイツが邪魔して来るから・・・僕は・・・)

『出て行け』

はっきりとそう言ってしまった。我ながらうわ・・・ないな・・・と思ってうんざりする。
(よりによって僕は・・・それをナランチャに言ってしまったのか・・・)
ぱくり、と残っていたパンを咀嚼しながら、昔の事を思い返していた。ナランチャの母親は随分前に亡くなってしまっていたが、父親は今も健在だ。それなのにナランチャが実家に寄り付かないのは、父親に出て行け、と冷たく言われた事が原因だったはずだ。
はぁ、と自分自身に向けた溜息をついて、携帯電話を手繰り寄せる。不思議なことに、着信もラインも来ていなかった。
(もしかして他の男の所に行ったのか?)
ぐっと眉に力が入り、頭の中でどこのどいつだと目星をつけ始める。
(いや、でも・・・違うな)
フーゴはラインを開くと、ナランチャに『今どこに居るの』と簡素なメッセージを送った。しかし返信は待たずに携帯をポケットにしまうと、食事が済んだ食器を持って立ち上がる。シンクに置いて洗うのは後でにすると、そのまま部屋を出た。
多分ナランチャは、自分の住んでいた一人暮らしの部屋に帰ったのだ。他の男の所へ行くはずがない。
(だってそれはぼくが許さないから)
大した自信だったが、確信があった。自分に嫌われるような事は、アイツはしないはずだと。



* * *


ピンポーン。
部屋の中に突然のチャイムが鳴り響いた。漫画を読んでいたナランチャは、急いでベッドから滑り降りる。長く家を留守にしていたため、宅急便の不在票が何通かポストに届いており、再配達を依頼していたのだ。
それにしてもかなり早かったなァと思いながら扉を開ける。
するとそこには、予想しなかった人物が目の前に立っていた。
「えッ!?ふ、フーゴ!」
「やっぱりここでしたか」
「なんで分かったんだよ!て言うかラインは?無視かよッ!」
「ああ、なんか送ってくれてたんですか?見てなかったです」
携帯電話を取り出しながら、自然な動作でナランチャの部屋に入る。ラインの画面には『どこに居たってお前にはカンケーないだろ!』と返信が来ていた。それもフーゴが送ったわずか1分後に。
「君ねぇ」
「な、なんだよ・・・」
なんと言うか期待を裏切らないのがナランチャだ。フーゴは小さく息を吐くと、携帯をしまってナランチャの側に立った。
黒い大きな瞳にフーゴの姿が映し出される。
「・・・ナランチャ。すみません。仕事が忙しくて自分のことで手一杯だった。出て行けなんて言って・・・ごめん」
直球な謝罪を投げられて、ナランチャは目線を下げて、何かを飲み込むように唇を結んだ。
「・・・おれも邪魔してごめん」
語尾はフーゴの腕の中におさまってくぐもった。ナランチャの小さい頭を何度か撫でると、顔を上向かせて唇を合わせる。
「・・・これから散歩行くかい?」
「ウン。あ、でも荷物・・・おれの部屋から持って行きたいものとかあるから・・・」
ナランチャが目線を配らせた方をフーゴも見ると、開きっぱなしのボストンバッグに洋服や漫画が入れてあった。
「ねぇ、ナランチャ。もうこの部屋は引き払えば?」
その言葉にナランチャは幾度か瞬きをする。一緒に住まないか、と言われているのだ。
「・・・いーの?」
「いいよ」
フーゴが優しく笑うから、ナランチャも胸にストンと落ちたように頷いた。
「そっか」
お互いの存在を確認するかのように、もう一度強く抱きしめ合った。



荷物の受け取りや整理整頓などを片付けてから、二人が部屋を出ると、まだ太陽は地面を照らしている。日が長くなっていた。
「これから夏!ってカンジの季節だなァ~」
「暑いのは苦手なんで、勘弁して欲しいですけどね」
「おっそう言やお前中学ン時、夏の全校集会でブッ倒れてたもんなァ~~!女子かよ!ってスゲェ笑っちまったぜ!」
「ったく、よくそんな下らない事覚えてるな」
「あとさあとさ、プールの授業の時に一人だけキワどい水着はいてたよな?キャラじゃねーからみんな突っ込めなくてよ~~おれだけ笑うの必死に堪えてたんだよなっ」
次々に繰り出される昔の話に、羞恥心を感じて顔を顰める。
「それからさァ~」
「ナランチャ、もういいから!まったく、なんでそんな昔の事覚えてるんだよ。もしかしてそんな時から僕のことずっと見てたの?」
冗談で言ったつもりのセリフに、ナランチャはぴたりと止まって、目を開いた。顔を向き合わせると、ナランチャは見る見る内に赤くなって行く。
「えっと・・・まさか本当に?」
「うるせー!ほら荷物持てよ!重いだろッ!」
分かりやすい照れ隠しにカバンを押し付けられると、フーゴは荷物を背負い直す。
なぜだかよく分からないけど、フーゴまで頬が赤くなって、上手く喋り出す事ができなくなってしまった。



<END>


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