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校舎から出て正門に向かう途中、視界の端に運動部の男たちが目に入る。
進学校であるこの高校に彼らが入学できているのは、スポーツ特待生と言う枠があるおかげだ。
品が悪くがさつで、頭が弱い。
彼らにはそんなイメージを持っているため、フーゴにとっては近付きたくもない存在だった。

「新入りのクセにふざけんな!だったらお前がやってみろよ!」
「いいぜ!しっかり目に焼き付けておけよな!」

揉め事をしているような声が聞こえてきて、眉をひそめながら校庭の方へと目線を向ける。
するとボールが凄い勢いで飛んできた。
思わず上体を屈めて目を瞑る。
しかしそのボールはフーゴに当たる事はなく、目前にあったゴールの網に回転をかけて飛び込んで行った。

「ほらな!」

シュートを打ったであろう少年が、嬉しそうに笑いながら右手を大きく上げる。
フーゴの脳裏に、目を瞑る直前の映像が浮かび上がった。
見事なロングシュートだった。
あんなに遠い場所から、このサッカーゴールのど真ん中を狙ったのだ。
周りで観戦していた他の運動部の人間も、すげえ!と拍手を送っている。
フーゴは大してサッカーに興味がある訳でもなかったが、確かに少年の蹴ったシュートは、単純に「凄い」と思わせる何かがあった。

しかしすぐに、馬鹿馬鹿しいと思い直して、視線を前に戻し歩き出そうとした。
その時。

「フーゴ!」

自分の名前が校庭一帯に響いた。
そんな風に不躾に自分の名前を呼ぶ人間なんて、一人も居ないはずだ。
顔だけ振り返ると、先ほどシュートを打った少年が、駆け足で自分に近付いて来る。
フーゴは思わず逃げたい気持ちに駆られた。
近くまで来たその少年の顔を見ても、まったく面識がないと分かったからだ。
少年は息を切らしながら、笑顔と泣き顔が混ざったような表情を浮かべて言った。

「ようやく会えた・・・!フーゴ!」

目の前の少年が何を言っているのか、理解できなかった。
何か面倒ごとに巻き込まれそうな、嫌な予感がする。
周囲の人間も、怪訝な視線をこちらに向けていた。

「あの、すいません。どちら様ですか?」

いたって事務的に質問すると、ショックを受けたように少年は目を見開いた。

「俺の事、覚えてないの?ナランチャだよ。ナランチャ・ギルガ!」
「ナランチャ・・・?」

記憶力には自信があった。
その自分が名前を聞いてもまるで思い出せないのだから、相手の勘違いなのだろう。
「すいませんけど。人違いですよ」
それだけ言ってさっと踵を返した所で、腕を掴まれ引き止められる。
いい加減にしろ、と怒鳴ろうとして振り返ると、ナランチャと言う少年は、俯いて唇を結んでいた。

「・・・いいんだ。今は思い出してないだけだから。俺・・・、俺さ」

なんだコイツは。
独り言のように呟いている彼を、気味が悪いと思った。
彼は顔を上げ、目線を合わせてくる。
自分の姿が映るほど大きな瞳だった。

「フーゴがこの学校に通ってるって知って、転入して来たんだ」
「は・・・?」
「だからこれからは、ずっと一緒だぜ!フーゴ!」

悪夢なら早く覚めて欲しいと、フーゴは心からそう思った。






しかし次の日になっても悪夢は続いた。
幸いにもクラスは別だったようだが、フーゴの教室に遊びに来ては、うるさく騒がれ周囲からの視線に晒された。
いい加減にしろと怒っても、彼はまったく引かなかった。
フーゴは自分がキレると相当怖い方だと自覚していたが、ナランチャは怖がる様子もなく、間の抜けた面で「なぁそんな事より勉強教えてくれよ」と首を傾げるのだ。
このまま付き纏われれば、目の前の少年を病院送りになるほど殴り倒してしまうかもしれない。
フーゴは逃げ去るように教室から出ると、ナランチャも後を追ってくる。
「俺来週テストやばいんだよ。ちょっとでいいから教えてくれよ」
何の理由があって勉強を教えてあげなければいけないのだと、声を張り上げそうになったが、構うのも癪で何も言わずに歩き続ける。
「あ、待ってフーゴ!」
ナランチャはフーゴの鞄を掴む。
歩行を妨げられ、聞こえるように舌打ちをして振り返った。
「ここ空き教室みたいだぜ~。なぁ、ここで教えてくれよ!」
たまらずフーゴは口を開く。
「あのね、ギルガさん」
「ナランチャでいいって」
「・・・ナランチャ。これ以上ぼくにしつこく付きまとうようなら、迷惑していると君の親に言いますよ」
ナランチャは驚いたように目を丸くしたが、すぐに普段通りの表情に戻る。
「俺親居ないんだよ。だから寮生なんだ」
「・・・そうですか」
別に謝罪をするつもりもなかった。
逆に親が居ない事で、問題を回避しづらくなったと頭を抱える。
するとナランチャは、声のトーンを落として話し出した。

「分かってるよ。お前、目立つの嫌いだもんな。俺と一緒に居ると目立っちまうよな」

理解しているのなら、と言い掛けると、ナランチャは口元だけ笑った。
「勉強、教えて欲しいんだ。もし今教えてくれたら、これで最後にするからさ!」
フーゴは渋々その言葉に折れた。
とにかく早く解放されたくて、空き教室に入る。
そこは理科の実験室として使っている教室だった。
下校の時間が始まって、夕日が窓から差し込んでいる。
その窓の一番近い席にナランチャは座った。
仕方なく、フーゴも対面の席に座る。
「ここ!ここが分かんねぇんだよなァ~」
見せられた問題は、逆さにして見ても1秒あれば答えられるような問題で、フーゴは心底溜息をつく。
「君さ、スポーツ特待生なんだろ?勉強なんか出来なくたって、免除してくれると思うけど」
「うーん、まぁそうなんだけど。スポーツもできて勉強も出来た方が、カッコイイじゃねぇか」
「カッコイイねぇ」
理解しがたくて眉を寄せる。
「おう!お前もさー昔からその頭の良さでみんなを引っ張ってたもんなァ。まぁキレると怖ぇけど!」
鉛筆を指の上で回しながら、にしし、と笑うナランチャに、顔を顰めて聞き返す。
「え?なんですって?昔って?」
「あーお前は覚えてねェんだもんな。フーゴはずっと昔、俺と一緒にギャングをやってたんだよ。パッショーネって組織の中で護衛の仕事してたんだ」
こいつやばい。
行動だけでなく、頭までおかしい奴だったのだ。
もうさっさとこの問題だけ教えて、帰ってしまおう。
そう思って余計な雑談は打ち切り、教科書を指差ししながら説明を始める。
「簡単な因数分解ですよ。まず指数を足せばいいんです」
「・・・シスウ?」
「この数字の右上についている数字です。これを足して」
「えっと3足す8?・・・えーっと、ちょっと待ってろ」
そう言うと彼は指を使って数を数え始めた。
フーゴは思わず手を伸ばして、その行動を制した。
「ちょっと待って下さい。足し算が危ういレベルなんですか?」
「しっつれーだなぁ!足し算くらい出来るって!でも繰り上がりが苦手でさぁ」
少し悩んでから、答えは11だろ?と自信満々に言われて、フーゴは血の気が引いた。
(こんな馬鹿がこの世の中に存在したのか)
もはや見下すとかそう言う事ではなく、衝撃的だった。
「じゃあ、掛け算はどうですか?6かける5は?」
「あ、それ覚えてるぜ~!さんじゅうだろッ!」
笑顔で回答されて、フーゴはほっと一安心してしまう。
「なら2桁の掛け算くらいできますよね?16かける55は?」
「え?ええ?」
ナランチャは途端に焦ったように険しい表情になり、ノートに数字をぐりぐりと書き付ける。
筆算のような式を書いた所で、ナランチャは顔を上げた。
「えーっ・・・と・・・に、28・・・?」
伺うように首を傾げながらフーゴを見上げて来る。
するとフーゴは、手に持っていたシャーペンを握り込んだ。
「さっきろくご30って言ったよな・・・」
ゆらりと立ち上がり、ナランチャに近寄る。
言い知れぬオーラを感じて、ナランチャは一歩下がった。
「なんで30より減ってんだよこのド低脳がァ――ッ!」
ナランチャの胸倉を掴むと、勢い良く頬にシャーペンを突き刺した。
「痛ってぇぇぇえ!」
ナランチャは叫び声を上げて、顔を押さえ床に転がった。
フーゴはそこでようやくはっとした。
(またやっちまった)
こうやってキレて相手に暴力をふるってしまう事は、今までにも何度もあった。
その度に自分の両親が出てきて、金と利権でなんとか丸め込んでいたのだ。
また親から冷たい視線を浴びなければいけないのかと思うと、フーゴは心底うんざりした。
それにしても、こんな些細な事でキレたのは初めてだった。
ナランチャは机に手を付いて立ち上がる。
頬からは血が流れていた。
「てめぇよくも・・・低脳っつったな!フーゴ!許さねぇぜ~ッ!」
ナランチャは持っていた鉛筆を握り直した。
なんと怯まずに応戦しようとしているのだ。
ナランチャがフーゴに近寄ろうとしたその瞬間、学校内にチャイムの音が鳴り響いた。
その音を聞くとナランチャは、手からぱっと鉛筆を離す。

「あ、俺部活行かなきゃ」

そう言うと荷物を片して、鞄を肩に背負った。
「じゃあな、フーゴ。あんまりキレて人にケガさせんなよ」
あまりにもあっさりその場から居なくなったものだから、フーゴは呆然としたまま、しばらくその場から動けずに居た。




これで最後にする、なんて言っておいて、次の日もその次の日も、ナランチャはフーゴの隣を歩いていた。
頬にはガーゼが張り付いている。
少しだけ申し訳なくも思ったが、元はと言えばコイツが悪いと思い、見なかったフリをした。
するとナランチャは「これ?あはは、スグ治るって!」と、まるでフーゴの思いを読んだかのように笑った。
そうやって彼は、時々フーゴをはっとさせるような事を言うので、迷惑だと思っているのに、すべてを無視しきれないのも、また事実だった。
少し前の話だが、フーゴのノートをじっと見つめて、ナランチャが口を開きこう言った。

『フーゴの字ってさぁ、本当に綺麗だよなァ。一生懸命努力して、勉強してきた字だな』

フーゴは言葉を失った。
今まで天才だの才能だの、そう言った言葉で片付けられた来たこの頭脳を、初めて『努力』だとナランチャは言ったのだ。
一体この男は何者なのだろう。
本当に昔の知り合いだったのだろうか。
しかし少しの興味よりは、遥かに面倒だと思う気持ちが勝る。
今日と言う今日は、ナランチャに出くわさずに家に帰りたい。
特に今日はテスト前で、学校全体の部活が休みの為、掴まったら長い事になりそうだ。
フーゴはチャイムと同時に席を立ち上がると、急いで校舎を出て、それから馴染みの喫茶店に入った。
親がマスターと知り合いの為、制服姿のままでも咎められず居る事ができる。
席に通され、いつものようにブレンドを頼んだ。
鞄から本を取り出して読んでいると、入り口の方から複数の男の声がする。
どうやら同じ高校の生徒らしい。
するとマスターが入り口の方に歩いて行き、入店を拒むように頭を下げた。
「すいません。そちらの高校から校則のため、入店させるなと言われておりまして」
「なんだよ、あいつはいいのかよ」
指を指して来た男と目があった。
「あの方は、その」
さすがにマスターも言い訳が苦しいのか、しどろもどろになって答えあぐねているようだ。
「ああ、あいつ特進組のほら・・・フーゴだよ。どうせ親のコネだろ」
わざと聞こえるようにそう言って、男たちは出て行った。
フーゴはぎりっと歯を噛み締める。
ひどく腹が立ったが、結局の所、親のコネでフーゴが生活しているのは、紛れもない事実だった。
でなければ暴力沙汰の多いフーゴが、この由緒正しい進学校に在校できるはずもない。
フーゴはそれが分かっているからこそ、怒りの行き場がなくやるせなかった。
忘れてしまおうとまた本を読み始めたが、文字が滑って頭に入っていかない。
フーゴは溜息をつくと、出してもらったコーヒーにもあまり口をつけずに、会計を済ませる。
マスターは申し訳無さそうに謝っていたが、それさえも気に入らなくて、無表情で「いえ」と一言だけ返して店を出た。
太陽は沈み掛けている。
ブレザーだけでは少しの肌寒さを感じた。
家の方角へ歩き出すと、背後から駆け寄ってくる足音が聞こえた。
まさかと思ってうんざりする。

「フーゴ!偶然だな!」

待ち伏せしていたとは考え辛いから、本当に偶然なのだろう。
自分の運のなさを呪いたかった。
ただ今は彼の相手をできるほど、精神的な余裕も無い。
何を言って来ても完全に無視をしてやろうと、口をつぐんだ。
そんなフーゴの横顔を、ナランチャは少しの間見つめて、目線を前に戻した。
それからナランチャは、何も喋りかけてこなかった。
フーゴが家に着くまで、おそらく15分はあっただろうが、その間一言も喋らなかった。
ただひっそりと隣を歩いてた。
やがて家の前まで来ると、フーゴは足を止めた。
ナランチャも足を止めて、目前にある家を見上げる。
「あれ?ここお前んち?」
その質問にも答えないで居ると、ナランチャは踵を返した。
「じゃあな、フーゴ。また明日」
歩き出した彼に向かってフーゴは口を開き、何かを言いかけ、唇を結んだ。
しかしフーゴは、再びその唇を開いたのだ。

「待って、ナランチャ」

初めて、フーゴからナランチャを呼び止めた。
ナランチャは振り返ると、首を傾げる。
「なに?」
「・・・ねぇ、君さ。いつもうるさいのに、どうして今日は黙ってたの?」
「え?だってさ」
夜風がナランチャの髪をなびかせる。

「お前、すごく落ち込んでただろ」

その風はフーゴの頬を撫でて行った。
「だからだよ」
ナランチャはそれだけ言うと、再度背中を向けて歩き出した。
フーゴはその背中が見えなくなるまで、ずっとその場に佇んでいた。




明くる日の放課後、学校の授業が終わると、またしてもフーゴはナランチャに掴まってしまった。
教室を出て廊下を歩いていても、後ろから付いて来て「部活見に来る?」とか「勉強教えてってば!」などと騒いでいる。
廊下ですれ違う生徒からも、好奇の視線が向けられ居たたまれなくなった。
フーゴは歩みを止め、くるっと振り返る。
「おっと」
急に振り返られて、ナランチャも足を止めた。
背の低い彼のつむじがよく見える。
「・・・一問だけですよ」
「教えてくれんの?」
目を輝かせながら喜んでいるナランチャに、フーゴは人差し指を立てる。
「ただし、条件があります」
「え?何」
「明日からぼくの教室に来るな」
「えー!」
「えーじゃないですよ。ぼくなりに精一杯譲歩したつもりです」
「あはは、まぁ確かにそうだよなァ」
ナランチャは軽く笑って、空き教室に入った。
条件は飲んでくれたのかはよく分からない。
そして前と同じ席に座り、勉強をし始めたナランチャを、フーゴはなんとなくぼうっとしながら見やった。
伏せられた睫毛は黒く長い。
髪はくせっ毛なのか、所々ハネている。
そのハネを隠すためなのか、頭にはオレンジのバンダナが巻かれてあった。
制服もネクタイはいつもぐしゃぐしゃだし、シャツの裾も外に出ていて不恰好だ。
話し方にも品がないし、フーゴが一番関わりたくない部類の人間だった。
その人間に、たった一問とは言え、自ら勉強を教えてやると提案してしまったのだ。
一体どう言う心境の変化なのか、フーゴも自分自身が分からなかった。
「うわー今日宿題多いな!これ間に合うかな。フーゴ、今何時?」
「ええと」
フーゴは左腕にはめてある腕時計を見た。
「今4時ですね。部活は何時から?」
「4時半!・・・あれ?フーゴ。お前腕時計、左にしてんのか?」
その言葉に、フーゴの表情が段々と深刻になって行く。
「それは、どう言う意味?」
「だってお前ずっと右腕にしてたから・・・」
ナランチャはさも当然のように答えた。
フーゴはいよいよ分からなくなって、ナランチャに問いかける。
「君は・・・一体なんなんだ?」
フーゴは腕時計は、いつも右腕にしていた。
しかしナランチャが転入する少し前に、物に八つ当たりをした時に痛めてしまい、左腕にはめるようになっていた。
「だから、何度も言ってるだろ?俺、前世からお前と一緒に居るんだよ」
「前世!」
フーゴは鼻で笑った。
「それ前に、ぼくがギャングだとかなんとか言ってた空想の話?」
「空想じゃねぇよォ。じゃなきゃ俺だって、お前にこんなにしつこくしねぇって」
「仮にその空想が君の中で本当だとしても、なんでぼくに拘るんですか?」
フーゴは兼ねてから疑問だった事を尋ねた。
「その前世とやらで、ぼくと大親友だったとでも言いたいのかい?」
ナランチャはノートの上に鉛筆を落とした。
「・・・本当は、お前が思い出してから言おうと思ってたんだ。でも結構待ってみたけど、全然思い出さないみたいだし」
俯いていたナランチャが顔を上げる。

「俺、フーゴの事が大好きなんだ」

フーゴの思考が一瞬停止し、表情を失う。
「あ、なんだよその顔!」
「いやぁ、付いていけません。質問したぼくが馬鹿でした」
「フーゴは馬鹿じゃねぇよォ。頭いいって」
そんなフォローが欲しかったわけではなかった。
「その、好きってどう言う意味・・・いや、なんでもないです。聞きたくありません」
「もちろん家族とか友達とかって意味じゃあないぜッ!異性っつーの?俺、フーゴ大好きなんだ」
向かいに座っている彼は熱い愛の告白をしていると言うのに、フーゴは段々とどんよりとした気分になってきた。
「空想癖がある上まさかホモだったなんて・・・」
「ホモじゃねぇって!男が好きなんじゃなくて、フーゴが好きなんだよ」
大体さぁ、とナランチャは愚痴のように呟き続けた。
「昔はお前の方が毎日好きだの愛してるだの、どうしてぼくの気持ちを分かってくれないんだ!とかわめいてたクセに、さっぱり俺の事なんて忘れちまってるんだもんなァ」
ナランチャは、はぁ~あ、と重い溜息を吐き出すと、机に頬杖をついて視線をそらした。

「・・・早く俺のこと思い出してくれよ」

ナランチャの横顔に夕日が差し込み、瞳がきらりと光った。
滲んだ涙が反射しているようにも見えたが、フーゴは気のせいだと自分に言い聞かせた。






フーゴの席は、教室の一番後ろの窓際だ。
ここからは校庭がよく見える。
今までは黒板ばかりを見ていた目線は、たまにだが校庭に向かうようになった。
(あ、やってる・・・)
目線の先には、体育で準備運動をしているナランチャが居た。
ここ最近の体育の授業はサッカーだ。
ナランチャは足や頭を使って、ボールを器用にリフティングしている。
軽いジョギングや体操の後に、チームに分かれて試合をやり始めた。
ナランチャの小さい体を活かした素早い動きで、ボールを足元に残しながら、次々と敵チームを追い抜かしていく。
歓声も挙がり、2人抜き!3人抜き!と騒ぎ立てる声が、教室にも届いた。
同年代の同性なら、誰もがかっこいいと思うようなプレイスタイルだった。
(・・・黙ってサッカーだけやってればいいのに)
頬杖を付いて胸中で毒づく。
しかしゴール目前で、敵チームから無理な攻撃を受け、ナランチャは体勢を崩してしまう。
フーゴは心の中であっと叫んだ。
心配も束の間で、すぐに立て直し再びボールを足で救い上げ、見事にゴールにシュートを打ち込んだ。
1点を知らせるホイッスルが鳴り響き、ナランチャは両腕を上げてチームメンバーの所に走って行った。
フーゴは思わず、机の下で拳を握り込んでしまった。

「おい、フーゴ。パンナコッタ・フーゴ」

不意に教師の声が聞こえ、はっとして前に向き直った。
「よそ見するな。次の問題を答えろ」
次の問題、と言われてフーゴは急いで教科書をめくった。
上から下へと見てみたが、該当の問題が分からない。
フーゴは苦渋の表情で唇を開いた。

「・・・すいません。今、何ページですか・・・」

教室内が、かつて無いほどざわめいた。






放課後現れたナランチャは、フーゴの表情を見て、気まずそうに頬を掻いた。
「・・・どうしたんだよ、そんなムスっとしちゃってさァ」
「別に」
冷たく言い放ち廊下を歩き出すと、ナランチャもいつものように後を付いて来る。
寝癖のついた髪が、ひょこひょこと揺れていた。
「君のせいだ」
フーゴは八つ当たりのように言った。
「あ、そうやってスグ人のせいにするのはよくないんだぜ~。何があったか知らねぇけどよぉ」
二人がそんな会話のやり取りをしていると、いつの間にか空き教室の前まで来ていた。
しかし今日はいつもと違って、教室内に数人の生徒が残っていた。
「先に使われてるね。どうする?」
そう言ってナランチャは隣に居るフーゴを見上げた。
「どうするって、別にぼくは今日も君に教えてあげるなんて、一言も言ってませんよ」
「そうなの?だって、一緒にここに居たからさ」
ナランチャの言う通り、無視して帰ればいいものを、一緒に空き教室の中まで覗いたのだ。
完全に彼のペースに乗せられている。
「あ、なぁフーゴ!」
ナランチャはフーゴの鞄を掴み、無遠慮に瞳を覗き込んで来た。
「俺の部屋来ない?今日は部活ないしさ!」
フーゴは、む、と唇を尖らせる。
「なんで君の部屋になんて行かなきゃいけないの」
「勉強教えるため!」
「だから、なんでぼくが君に勉強を教えてあげなきゃいけないんですか」
「だって約束したんだよ。大学行けるまで面倒見るって」
「前世で?」
「前世で!」
「馬鹿馬鹿しい」
くるっと向きを変えてさっさと帰ってしまおうと、足を踏み出した。
しかし後ろからまたしても鞄を掴まれ、進行を妨害されてしまう。
「フーゴッ!」
「まったく、しつこいなぁ」
フーゴはうんざりそうに、一つ息を吐き出した。
「そんなに勉強を教えて欲しければ、学校内でいくらでも補講があるじゃないですか。塾だって補助が出ますよ」
「違うんだよ。確かに勉強はしたいけど」
ナランチャはそこで一度言葉を区切ると、不安を織り交ぜた声音で言った。
「フーゴじゃないと意味ないんだよ」
それもまた、前世がどうのと言う話が関係しているのだろうか。
今まで頭脳であるとか、見た目だとかが目的で、フーゴに近寄って来た人間は多かった。
しかしナランチャは、恐らくそう言った部類の人間ではないと思う。
目線を前に戻し、ナランチャの瞳を見やる。
その大きな黒目がちな瞳を見ると、なぜかぐっと言葉に詰まってしまうのだ。

「・・・分かりましたよ」

フーゴが折れた形でそう言うと、ナランチャはぱっと笑顔になり、声を上げて喜でいる。
それを見たフーゴの口元も、自然と緩んでいた。
ナランチャが嬉しいと、どう言うわけか、自分まで少し嬉しかった。






ナランチャの部屋は、意外にも物が少なく片付いていた。
「だって部活のあとはクラブで練習してるからさ。寝に帰るだけなんだよ」
そう言う通り、ベッドの周りにだけ、サッカー雑誌やカップがまばらに置いてあった。
部屋の端には、勉強をするための机が備え付けられている。
ナランチャはその上にばさばさと、鞄から取り出したノートや教科書を置いて行った。
そして近くにあった空いた椅子を持って来る。
「ここ座って」
「どうも」
決して座り心地はよくない、質素な椅子に腰掛ける。
ナランチャも勉強机の前の椅子に座ると、鉛筆を握った。
「やっぱこの学校、スポーツクラスでも宿題多いよなァ」
「進学校で謳ってますから。でも授業はだいぶ簡単なんですよね?」
「カンタン~?」
ナランチャは嫌そうに教科書を開く。
「カンタンな問題なんて一問も見当たんねーんだけど」
フーゴからすると簡単な問題しかなかったが、それは口には出さないでおいた。
一問目から順に、解説をしながらナランチャに勉強を教えて行く。
一つ解くのにも、とても長い時間が掛かった。
ただ辛抱強く教えていけば、ナランチャもなんとか理解して問題を解く事が出来た。
正解した時のナランチャはとても嬉しそうで、やっぱりフーゴもちょっとだけ嬉しかった。
そしてフーゴはふと、ナランチャの手の甲についた傷が目に付いた。
「あれ?ナランチャ」
「ん?」
「どうしたんですか?ここ」
そう言って何気なく、フーゴはナランチャの手の甲に触れる。
するとナランチャから、急にぴんと糸が張ったように、緊張感が伝わってきた。
微動だにせず、視線も教科書一点に絞られている。
「な、んでもねぇよ。ちょっと擦り剥いただけ・・・」
「体育の授業の時ですか?」
フーゴは手を離さなかった。
ただの好奇心だったのかもしれない。
ナランチャの手の上に、自分の手を重ねるように置いた。
途端にナランチャの顔が、かっと赤く染まった。
照れているのだ。
その様子を何も喋らず見つめていると、ナランチャは少しだけ顔をフーゴの方へ向かせた。
「は、離せよ!」
「・・・振り払えば?」
「ふ・・・」
ナランチャは口をまごつかせて言い淀む。

「振り払えるワケないだろぉ・・・」

ナランチャの顔が赤くなり、指先から体温が伝わってくる。
本当に自分の事が好きなのだ。
反応を注視していたら、ナランチャがじろりと睨むように見上げて来る。
「なんだよ」
「・・・いえ。ただ、前世のぼくって、どんなヤツなんだろうと思っただけですよ」
フーゴはナランチャの手の上から、自分の手を退かせた。
「フーゴは」
ナランチャは手持ち無沙汰に、自分の髪の襟足を撫でた。

「優しくて、仲間思いだった。みんなからも頼りにされてたよ」

何か過去の事を思い出しているのか、ナランチャはその後しばらくぼんやりとしていた。
そして独り言のように、「どうしてオレだけ覚えてるんだろ」と呟いた。
視線がフーゴへと戻された時も、その瞳に自分が映っていないような気がした。
自分を通り越して、他の誰かへと向けられた目線だったのかもしれない。

勉強に戻り、宿題が一通り解き終わると、フーゴは帰路についた。
外はすっかり暗い。
ゆっくり歩きながら、ナランチャに言われた言葉を思い出した。

『優しくて、仲間思いだったよ』

そんなのはぼくじゃない。

ポケットに突っ込んだ手を握り込む。
フーゴの中に強い否定の気持ちが、這い上がって来ていた。


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