ブチャナラ小説の完結編です。
こんなに長い話を書いたのは2年ぶりくらいな気がします。



『イタリアの夜の太陽 -後編-』



ブチャラティが居なくなったからと言って、取り乱すほどナランチャも子供ではない。
家にあるものを適当に食べたり、勉強に飽きたら、近くの海辺に行ってのんびり過ごした。
特に何も不自由はしていなかったが、一つだけ困った事がある。
それは夜眠る時、なかなか寝付けない事だ。
真っ暗にするほど眠れなくて、部屋のライトスタンドと、中央の部屋の明かりを灯して就寝している。
そうする事で、不思議と安心できたのだった。


ブチャラティが家を出てから三日後の、午前中の事だ。
来訪者があった。
扉がノックされたので耳をそばだてると、向こうで男の声がする。

「ナランチャー居ないんですか。僕です。フーゴです」

フーゴは、ナランチャを最初に見つけて、ブチャラティに紹介した男だ。
ナランチャは急いで扉を開ける。
「フーゴ!」
「やぁ、久しぶりですね」
「あの後会えなかったから、どうしてんのかと思ったよ」
「すいません、ちょっと野暮用で顔を出せなかったんですよ」
会話をしながらフーゴは家の中に入り、周囲を見渡した。
あ、新しい本棚だ、などと言って食卓の前の椅子に座る。
慣れた様子だったので、この家に来た事があるのだろう。
「ブチャラティなら居ないよ?」
「ええ、知ってますよ。彼から言われて来たんですから。それより勉強進んでるんです?」
机の上に置いてあったノートを、ひったくるようにして見る。
「・・・文字も足し算もめちゃくちゃだな」
「一人だと答え合わせできないから、分かんないんだよね」
「10+25が9って。なんで足してるのにそれより少ない数になるの」
引っかかる言い方だ。
完全に馬鹿にしている。
「・・・あんた優等生?そうやって人を見下して生きて来たのかよ」
優等生、と言う単語はフーゴにとって言ってはならない言葉のようだった。
穏やかな表情から一転して、目を吊り上げて睨み付ける。
「なんだとテメーもういっぺん言ってみろこの低能が・・・」
その言葉に、ナランチャまでも瞬時に怒りのメーターを振り切った。
「今、低能っつったなフーゴ・・・!許さねぇぜ・・・!」
「低能な上にただのチンピラだろうが!」
言いながらお互いの胸倉を掴み上げる。
背の低いナランチャの足が少し浮いた。
その足でフーゴの太腿を目がけて蹴りを入れる。
フーゴは眉を寄せながら、拳を振り被った。
振り下ろした先に運悪く花瓶があり、机の上から落ちて大きく割れる音が響いた。
床に破片と花が散らばる。
その音で、先にフーゴの方が冷静になった。
「・・・やめましょう、ブチャラティの家です。」
「そうだな・・・」
お互いの意見が一致して、ようやく二人は胸倉から手を離した。
フーゴは緩んだネクタイを締め直すと、やれやれと溜息を吐く。
「あーあ、まったくブチャラティは甘いんですよ。いつもいつも」
「別に甘やかしてる訳じゃねーよ」
「甘やかしてますよ十分!あなたには少しくらいスパルタな方がいいハズです」
そう言うとフーゴは、冷蔵庫を空け中の食料を取り出し始めた。
何をしようとしているのか本当に分からなくて、ただ呆然と見守る。
やがてフーゴは食料や飲料水などをひとまとめにすると、それを持ち抱えた。
「え!?何してんだよフーゴ」
「食うモノがあるから外に出ないんでしょう?だったら全部なくしてしまえばいいんです!」
「はぁ!?ちょっと、お前」
フーゴの腕を掴み引きとめようとすると、強い力で押し剥がされる。
勢いで床に尻餅をついた。
「言っときますけど、この辺であなたを見つけた時のように残飯漁りなんかしたら、タダじゃおきませんよッ!ブチャラティの名前を汚す事に繋がります!」
突き放され床にへたり込んだナランチャを、鋭い目で睨み付ける。
そしてふと思い出したかのように、自分の手荷物をごそごそと漁り、ぽんとテーブルの上に一冊のノートを出した。

「あと数学はブチャラティより僕の方が得意なので、問題集を作ってきました。どうせヒマなんですからこれでも解いていればいいです」

そう言い捨てて背中を向けると、荷物は抱えたままブチャラティの家を出て行ってしまった。
ナランチャは複雑そうな表情を浮かべる。

「や、優しいのか厳しいのかよく分かんねぇ・・・」





そしてそろそろ日も暮れかけた夕方の時間だ。
昨日の夜から何も食べていないナランチャは、いい加減腹が減ってきた。
念のため冷蔵庫の中を開けては見たが、見事に何も残っていない。
冷蔵庫を背にして座り込むと、膝の上に腕を乗せて考え込んだ。
「あー腹減ったチクショウ・・・」
少し前の自分だったら、その辺の飲食店の裏側にでも回り込んだのだが、やはりブチャラティの家の周辺でそんな事をする訳にもいかない。
「そうだッ!ブチャラティの家から離れればいいんだ!」
ナランチャは立ち上がる。
ブチャラティが残してくれた金はあるし、それでバスかタクシーで遠方まで行ってしまえばいい、とそこまで考えて、ナランチャは急に落ち込んだように再びしゃがみ込む。
「俺最低・・・」
ブチャラティの金を使ってまで逃げたいのか、と自分をひどく責めた。
フーゴが食料品を持って行ってしまった事だって、ただの意地悪ではない事ぐらい分かっていた。
ナランチャはゆっくりと立ち上がる。
キッチンに備え付けられていた引き出しを開けた。
中には、食べ物を買うには十分過ぎるほどの金が入っていた。
おそらくタクシーに乗って、自分の家に帰れるぐらいの金額なのだ。
ナランチャはその金を掴んでポケットの中に入れた。
よし、と決意したように引き出しを閉めると、時計を見る。
近くの食品店はまだ開いている時間だ。



母親の病気の事を友人にバラされ、周囲の人間から無視され、罵られて来たナランチャは、
その事件以来とにかく人目を避けてきた。
最後にちゃんとお店に入って物を買ったのが、いつだか思い出せないくらいに。
ナランチャは店から少し離れた場所から、店内の様子を伺っている。
小さな店だが、パンやインスタント食品が並べられている事が分かった。
あとはただ行って、買って、帰ってくればいい。
ここにはナランチャを知っている人間なんて居ない。
そうは分かっていても、なかなか一歩が踏み出せなかった。
周囲を見渡すと、レストランが目に飛び込んでくる。
あの裏に行けば、ゴミとして捨てられた食べ物があるかもしれない。
(駄目だ。そんな事をした足でブチャラティの家になんて帰れない)
人は人を見ている。
ナランチャは痛いほどよく理解していた。
唾を飲み込み、壁から背を離し何歩か進んでみる。
足が少し震えた。
大した距離も無かったので、すぐに店の前に来てしまう。
ガラス扉の向こうには、店員と客が一人ずつ居るようだった。
ドアの取っ手を掴むが、なかなか押すことが出来ない。
あまりもたもたしていると、不審がられて余計に視線を浴びると言うのに。
やっぱり無理だ、と思った瞬間に、ブチャラティの声が頭を駆け抜けた。

”ナランチャ。過去は過去だ”

親も子供も関係ないと、ブチャラティは言った。
見ず知らずの自分に対して、ここまでの面倒を見て心配をしてくれた。
確かに人目は怖い。
しかしブチャラティの好意を無駄にする方が、今のナランチャには怖いと思えた。
そう思ったら、次の瞬間、店の扉を開いていた。
「いらっしゃいませ」
女性店員の高めの声が響く。
足取りはまるで、地面からふわふわと浮いているかのように覚束ない。
店内の食品を、適当に手に取る。
選んでいる余裕は無かった。
レジに持って行き金を払うと、店員がありがとうございます、と言ったので、小さな声でどうも、と言って店を出る。
しばらく歩いて立ち止まると、右手には買ったものが入ったビニール袋を持っている。
もう片手でポケットを漁ると、金はちゃんと減っていた。
これは、ナランチャが自分で買った食べ物だった。
そう思ったらナランチャは急に居てもたっても居られず、家に向かって走り出した。
家にたどり着き扉を勢いよく開くと、「ブチャラティ!」と呼びかける。
言ってしまった後に、今は家に居ない事を思い出し、気恥ずかしくなって頭をぼりぼりと掻いた。
その後すぐに買ってきたパンやスープを食べたのだが、ただのインスタントのスープなのに美味しく感じた。
そして、今この場にブチャラティが居ない事が、とても残念に思えた。


それから数日が経った。
いまだにブチャラティは帰って来ない。
フーゴの来訪はあったが、「おや、生きてたんですか」と一言言って、数学の答え合わせをし、また新しい問題集を置くと忙しなく帰ろうとする。
寸での所で玄関で、
「なぁ、ブチャラティとフーゴって同じ仕事してんの?」
と聞くと、
「そんな事あなたには関係ない」
と突き放され、足早に帰ってしまった。
何をどう質問しても、素性については答えてくれないらしい。


その夕方、ナランチャは外出をした。
今度は近くの食料品店ではなく、もう少し遠くの店に行ってみようと思ったのだ。
ここ数日の買い物で自信も付いてきたので、目に付いた店に入る。
店内でどれにしようか、選ぶ余裕も出来てきた。
棚の上の方にある商品を取ろうと背伸びをした所で、突然店員が叫び出した。

「お前ッ!このガキ!よくも堂々と店に入って来れたな!」

大きな体をした男が、ナランチャの腕をがしっと掴み上げる。
「ここまで手を広げやがったのか!?さっさと出てけッ!」
顔に見覚えがあった。
おそらく盗みを繰り返してた店の店員が、たまたまこの店で働いているのだろう。
運が悪かった。
ナランチャはそのまま走って逃げるつもりだったのだが、なぜか足がその場から動かない。
脳裏に、違う、と言う強い否定が掠めたからだ。
「・・・今は客として来てんだ。金もちゃんと持ってる」
「だからどうした!今は金あるからってお前が盗っ人である事は変わりねぇだろ!」
そこまで言われてしまうと、ナランチャはなすすべも無く立ち尽くすしかない。
俯いて、拳を握りこむ。
「・・・だったらいつ盗っ人じゃなくなるんだよ・・・」
「はァ?」

「今、客として買いに来ても犯罪者扱いされるなら、いつになったら俺は普通にモノが買えるようになるんだよ!」

ナランチャが眉を寄せて訴えかけるように言う。
真剣で必死に食いついて来るような瞳だった。
そのナランチャの姿に圧倒され、今度は店員の方の男が黙ってしまう。
そして意外にも、冷静な返答をして来た。
「お前が今まで盗んだり壊したりしたもんは、誰かの金でまかなったんだ。お前はそのカネを払ったのか?」
ナランチャは静かに首を振った。
「そう言う事は、過去を清算できるようになってから言うもんだな」
ナランチャは顔を上げた。
「だったら、いつかちゃんと払うよ。仕事するよ。仕事してカネ稼いで、昔の分もちゃんと払うよ!」
店員は複雑そうな表情をして、眉を寄せしばらく考える。
そしてナランチャが取ろうとしていた商品を渡した。
「・・・その言葉信じるぞ」
ナランチャは目を見開いた。
慌ててポケットを探って金を取り出す。
「う、うん!本当だよ!コレもちゃんと今払うし!」
じゃらじゃらと小銭を店員の手の平に乗せる。
店員は金を数え、商品の額だけ受け取った。
「毎度」
ナランチャは商品を手に持ったまま、店を出た。

数メートルの距離を歩いて、ぴたりと立ち止まる。
店員はあのままナランチャをつまみ出す事だって出来たのだ。
でもそうしなかったのは、あの男の思いやりだ。
久しぶりに他人の優しさに触れて、ナランチャは涙が出そうだった。
そして帰り道、心に決めた。
これから自分が進むべき道を。




次の日の事だった。
そろそろ日付も変わりそうな時刻に、外で車のエンジン音がした。
その後駆け足で家に近付いてくる足音が聞こえ、間髪あけずに家の扉が勢いよく開いた。
「ナランチャ!」
家の中にブチャラティの声が響く。
食卓で勉強中だったナランチャは、その声に驚いて顔を上げた。
「お帰り、ブチャラティ」
あまりにもあっさりとナランチャがそう言うので、ブチャラティは拍子抜けしたようだった。
ナランチャの姿を確認し、周囲を見渡しながら部屋に入る。
「すまない。予想以上に帰りが遅れた」
「大丈夫だったよ。あ、でもごめん。花瓶割っちゃったんだ」
「花瓶?それくらい構わないが・・・ケガはなかったのか?」
「うん。ないよ」
「食い物は?足りなくならなかったか?」
そう言ってブチャラティが冷蔵庫を開けると、中に見覚えの無い食べ物や飲み物が入ってる。
「ナランチャ」
ぱたんと冷蔵庫のドアを閉め、呼びかけながら振り返った。
ナランチャは立ち上がり、キッチンの引き出しを開けてあまったお金を取り出し、ブチャラティに渡す。
「結構使っちゃった。ごめん。いつかちゃんと返すよ」
「買い物に行ったのか」
「うん」
「そうか」
表情の変化にとぼしいブチャラティ顔が、朗らかに笑った。
ナランチャはその笑顔を綺麗だと思い見つめた。


夜も遅かったため、ナランチャはその後すぐ眠りに付いた。
ベッドの縁にはブチャラティも居てくれる。
「なんでも一人で出来たんだな。偉いじゃないか」
とブチャラティが言うので、ナランチャは首を振った。
「ブチャラティが居ないから眠れなかったよ。だから今日はよく寝れそー・・・」
よっぽど連日睡眠不足だったのか、ナランチャはすぐにうとうととし始める。
そして寝る間際に、ナランチャは小さな声で呟いた。

「俺、明日帰るよ。」

意外な言葉ではなかった。
まじめに勉強をして、一人で買い物に行って、何かがナランチャの中で変わったのだと言うことは、見てすぐに分かった事だった。
だからブチャラティは、何の名残も無く
「そうか」
と自然に言った。
ナランチャにとってそれが最善だと、本当にそう思っている。
それでもナランチャが眠りに入って、もう自分も寝なくてはいけないのに、ブチャラティは長い間ベッドに座って幼い寝顔を眺めていた。



明くる朝。
特に身支度なども必要が無いナランチャは、フーゴにもらったノートと、ブチャラティからもらった絵本だけを手に持った。
「本当に送っていかなくていいのか」
ブチャラティは車で送り届けるつもりだったが、ナランチャはすでにバスの切符を買ってあるようで首を振る。
「ホントに大丈夫!バス亭の道も教えてもらったし!」
ナランチャは意気込んで拳を握る。
その後、あ、と思い出し自分の頭のターバンに手をやった。
「そうだ。コレ、もらってもいい?」
「構わない。お前にあげたものだ」
ブチャラティの声に、ナランチャはしばらく押し黙ってしまった。
どうお礼を言っていいのか、上手く言葉に出来ない。
ナランチャは顔を上げると、ブチャラティとしっかり目線を合わせて言った。

「ありがと、ブチャラティ。本当に・・・ありがとう」

ブチャラティは眉を寄せて、ぐっと歯噛みをすると、ナランチャを抱きしめてから頭を撫でた。
そして体が離されると、ナランチャは背を向けた。
歩き出し、ブチャラティの家を出る。
また、とは言わなかった。
それはすでにナランチャの中で決意していた事だったからだ。

必ずまたブチャラティに会いに来るよ。

今度はあんたの部下として。

ナランチャは心の中でだけそう呟いた。





あれから早いもので2年が経った。
ナランチャは今、仕事で郊外に来ている。
長旅で疲れ果てて、ホテルのベッドに身を投げていた所だ。
そしてその仕事とは、ブチャラティの命令で遂行している任務だった。
ナランチャが決意した通り、今はブチャラティの部下として働いているのだ。
ポルポと言う人名を元に情報を得て、試験に合格し、部下としてまた現れた時のブチャラティの苦い顔は忘れない。
『まったくお前は・・・』
盛大にため息をついた後、複雑な思いがありながらも笑い、元気そうで良かったとナランチャの頭を撫でた。

そんな事もあったな、と思い出しながら、ナランチャはオレンジ色のターバンを外し、本格的な眠りにつこうとする。
部屋全体の照明は消すが、ベッドサイドの小さな明かりと、入り口付近のフットライトを点けたままだ。
2年経った今も、抜ける事が出来ないクセだった。
しかし昔みたいに、怯えて眠れなくなる事はもうない。

いつもブチャラティが行く道を、まるで太陽のように照らしてくれる。

それが例え、どんなに暗い夜であっても。





<END>


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